石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第一節 三藩鼎立

是より利常は、小松菟裘の地として大に工事を起さしめ、翌寛永十七年五月江戸を發し、路東海道を經、六月小松城に入れり。小松城は舊と丹羽長重の居りし所。長重慶長五年の役後その領地を沒收せられ、前田利長の之を併有するに及び、初は前田長種之が城代となり、直知・直正・孝知歴世相繼いで之を守りしが、是に至りて利常の自ら居る所となり、隨從の士卒皆移りて城の内外に住せり。この城は本丸の周圍六町五十間三尺、二丸の周圍六町十間、三丸の周圍八町十六間、中土居の周圍九町十間、葭島の周圍八町、琵琶島の周圍六町十三間にして、總周回二十四町なりしといへば、略規模の如何を知るべく、その設計は藩臣瀧長兵衞の案に成り、之を長重在城の時に比すれば大に擴張する所ありたりといふ。

 追付(寛永十六年)江戸飛脚頻に立て、瀧長兵衞は小松へ罷越御作事可申付由にて、長兵衞は小松へ參り、御城中へ入て繩張を極、堀・塀などを申付る所に、御繪圖等出來す。又追付御家中、小松富山大正持大聖寺)の衆も相極る。小松城には其頃前田志摩(孝知)・前田長松(孝貞)、前田長次郎(恒知)・竹島(直知室)殿のましますに、瀧長兵衞は御意に任せ、奧方並露地以下迄走廻り、繩張し、くひを打、我儘にす。家來の者共餘り成仕形哉と存けれ共、鼠も社に依て貴しと云如く、小松衆は是非に不及、取物も取あへず家財を金澤へ晝夜の差別なく持運ばる。先二の丸に御假屋を建、御本丸の地形をならし、所々の堀をさらへ、橋を新敷掛させ、原五郎左衞門・分部卜齋・穴生の彌七、其外役人足輕等入替々々御普請し、來年御歸城切と上を下へ返して急げり。御家中の侍屋敷御繪圖に任せ割符有ける故、町中も建替り、梯(カケハシ)も公領橋(九龍橋)も河上へ少宛上て懸直る。
 寛永十七年六月十日江戸御發駕有て、東海道より小松へ入城也。光高公よりは箱根まで御膳を御拵、御辨當にて御泊りへ被上、御供中上下共に被下けり。金澤より又關原まで出向ひ、御膳を上奉り、御供中にも被下けり。廿一日に小松二の丸御假居へ入らせ給ひ、御城中の繪圖御覽被成、中土居に古市左近、枇杷島に兒小姓、三の丸に人持、其外牧島・竹島・葭島・松任町・泥町・さうけ町・園村・小寺、夫々の御指圖にて引越々々町屋に借屋して作事申付、其年の内に大方移らる。
〔三 壺 記〕
       ○
小松城郭廻等之事(寳暦五年)
 本丸廻 六町五拾間三尺○同所亭 二ヶ所○同所土藏 八ヶ所○同所鐵門 一ヶ所○同所櫓門 一ヶ所○同所長屋門 一ヶ所○同所建坪 貳百拾七坪半、右亭土藏鐵門櫓門長屋門拾三ヶ所之建坪に御座候○木丸建坪 四百拾九坪○本丸櫓二重 一ヶ所、上重二間三間 下重四間五間、右高土臺より上棟迄五間壹尺、但石垣高四方共三間貳尺○同所平門 三ヶ所○同所橋 三ヶ所○同所堀 一ヶ所、幅南方貳拾七間半、北方貳拾七間、東方拾貳間、西方拾四間、深南方五尺、北方三尺、東方三尺、西方五尺。
 二の丸郭廻 六町拾間○同所土藏 五ヶ所○同所櫓門 三ヶ所○同所長屋門 一ヶ所○同所建坪 貳百九拾貳坪、右土藏櫓門長屋門九ヶ所之建坪に御座候○同所平門 一ヶ所○同所橋 一ヶ所○同所堀 一ヶ所、幅北方拾六間、東方拾間、深北方三尺、東方六尺。
 三之丸大手惣郭廻 八町拾六間○同所侍屋敷 四ヶ所○同所建坪 九百貳拾九坪、右若侍屋舖表向より勝手迄の分に郷座候○同所平門 一ヶ所○同所橋 二ヶ所○同所堀 一ヶ所、幅南方七間、北方拾六間半、東方六間半、西方拾間、深南方四尺、北方六尺、東方六尺、西方四尺。
 中土居郭廻 九町拾間○同所土藏 七ヶ所○同所長屋門 一ヶ所○同所建坪 百八拾坪、右者土藏長屋門八ヶ所之建坪に御座候○同所平門 一ヶ所○同所橋 一ヶ所○同所堀 一ヶ所、但北方貳間半、西方拾六間、深南方二間半、三方共六尺。
 葭島郭廻 八町○同所長屋 一ヶ所○同所土藏 三ヶ所○同所侍屋敷 一ヶ所○同所櫓門 一ヶ所○同所足輕屋敷 一ヶ所○同所建坪 三百四拾五坪、右者土藏櫓門長屋並侍屋敷足輕屋敷七ヶ所之建坪に御座候○同所平門 二ヶ所○同所埋門 三ヶ所○同所橋 一ヶ所○同所堀 一ヶ所、幅南方四拾貳間、西方八拾五間、深南方四尺、西方五尺。
 枇杷島郭廻 六町拾三間○同所侍屋敷 二ヶ所○同所足輕屋敷 五ヶ所○同所建坪 五百五拾坪、右者侍屋敷足輕屋敷之建坪に御座候○同所橋 一ヶ所○同所堀 一ヶ所、幅北方七間、東方貳拾六間、深北方貳尺、東方三尺○外堀 三ヶ所、幅拾間長三百間深一尺一ヶ所、幅九間長三百六拾間深三尺一ヶ所、幅拾三間長三百間深三尺一ヶ所○同所橋 一ヶ所。
 城内井戸數 貳拾三ヶ所○城内屋敷 拾四ヶ所○城外郭廻 貳拾四町○同惣門數 三ヶ所○惣矢狹間 百貳拾六○惣鐵炮狹間 七拾。
〔金城深秘録〕

小松城櫓臺 在能美郡小松

 
 

小松城及び附近