石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第十節 社會種々相

能登涌浦温泉は、陸地を離るゝこと六十間の海中より湧出せり。畠山氏の此の國に治せし時、夙く之を保護せんが爲石垣を築きて圍み、湯船を以て運送せしめ、以て治療の功を助けたりとの口碑を有す。前田氏の時に及びて、その名益著れたるが如く、利長の腫物を憂ふるに際し又この湯を運びて澡浴せりといふ。しかも前來の石垣は風波の爲に漸く破壞せられしを以て、寛永十八年七尾町奉行石黒某之を修築して徑十間の湯の島を作らしめ、その汲取によりて生ずる收入を七尾町の收入たらしむると共に、小物成として湯役を納めしむることゝなれり。蓋し涌浦は小村にして泉源保存の資に堪へず、是を以てその權利自ら七尾町に移るに至りしなるべし。延寳二年加賀藩命じて涌浦を和倉と改めしむ。これ涌浦の文字上下相類して、間々顚倒するものありしによるといふ。