石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第十節 社會種々相

山代温泉も亦山中温泉と同じく、その發見利用せられたることは甚だ古かるべしといへども、文献に見えたるは今枝家譜に『正保四年二月直恒(今枝)于江府病痾之由達于賀州。時微妙(利常)院殿爲保養江沼郡山代温湯、直治(今枝、後近義)往彼地、請暇至東武。』とあるを初とし、菅家見聞集には利常『慶安元年十月山代御入湯。』とし、山崎小右衞門筆記には『慶安二年二月廿八日中納言利常)樣山代御湯治被成。』といへり。又享保録に據れば、山代湯は利常及び大聖寺侯利治の之に澡浴するに及びて、族舘及び湯所の圍・揚り屋等の作事を施し、堀口宗也に湯元惣支配を命ぜられき。然るに或年越前大野侯松平直富こゝに來り、圍内の湛泉清澄なるを見て之に浴せんと欲せしが、宗也はこの圍内が利常の浴する所たるを以て、その鍵は大聖寺藩の保管する所なりと僞り、遂に拒みて入るを許さゞりき。利常之を聞き、後宗也を小松城の葭島亭に召して酒を賜ひ、その子彌三郎に秩百石を與へて公事場牢鍵番の職を掌らしめ、金澤紺屋坂に住せしむ。利常の意、蓋し宗也がその寄託を重んじ、他主の威武に屈せざるを賞せしなりとのことを載せたり。此等の談、皆當時山代温泉に痾を養ふものゝ多かりしを證するものといふべし。