石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第十節 社會種々相

是等操・歌舞伎の座に在りては、歩士(カチ)及び相撲等の者に限り札錢を支拂はずして之を觀るの特權を有せしかば、家中陪隸の士亦彼等に擬して恣に入場するものありき。因りて芝居の鼠木戸に歩士を置きて看視せしめしも、その制止を肯んぜずして亂暴し、時に拔刀して死傷を生ぜしむることすらありしかば、諸興行が啻り人民の財力を消耗せしむるのみならず、又治安を害するを以て、遂に之を禁止するに至れり。是より先金澤に於ける芝居座は、河原町の茶屋作右衞門といふ者之を設備して興行者に貸與し、初日を法樂と稱して附近の住民に無料觀覽せしめ、第二日の收入は擧げて作右衞門の利得とするの習慣ありしが、この禁令あるに及び作右衞門は全くその特權を失ひたりき。然るにその後數年を經て、また犀川河原に操芝居を興行するものありしかば、吏作右衞門を捕へて鞫問せしに、作右衞門は許可を得たるに因ると辯解せしも、實は虚僞を陳述せしものなりしを以て、遂に泉野に於いて火刑に處せられ、且つその興行を停止せしめられき。但し是等の事が何れの年に係るかは今之を詳かにする能はず。次いで寛永六年藩侯の世子光高任官の慶事あり、翌七年には利長第十七回忌の法要ありしかば、興行師等この機に乘じて許可を請ひ、薩摩節の磯之助・投節の金太夫等を招きて犀川河原に興行したりしも、八年四月城下火災後の市區改正により、この地は屋敷に變じたるを以て、又之を廢せざるべからざるに至れり。