石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第十節 社會種々相

是等の神事能に奉仕せる諸橋大夫は金春流に屬し、富樫氏が加賀に治せし時より之に仕へたるものなるも、の初期に於ける諸橋大夫の名を知ること能はず。當時又波寄大夫ありて觀世流に屬せしが、二世信治の時、天正十二年利家の爲に召されて技を演じ、慶長七年初めて利長祿せられ、爾後波寄氏を改めて波吉氏と稱し、子孫諸橋氏と相並びて前田氏の能大夫となり、寛永十五年利常河北郡黒津船神社を造營し、三月その遷座式を行ひし時には、波吉大夫をして法樂の爲に能樂を奏せしめき。

 二世波吉喜之尉信治。永祿七年生。童名菊法師、中頃彌三左衞門。高徳院(利家)樣御代天正十二年被召出、苗字波寄にて能方相勤申候。瑞龍院(利長)樣御代慶長七年御扶持方下、佐藤作左衞門上地の所拜領被仰付。其上拜領地續に地子地御座候、是をも御扶持方の内に被下候。此時苗字波吉に改、御能方相勤罷在候。明暦三年三月四日死、年九十四、法名慈源院道哲禪定。寺小松本蓮寺
 三世波吉左平次信安。文祿二年生。微妙院御代寛永元年被召出、扶持二十人切米十五石被下置候。
〔波吉家系譜〕