石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第十節 社會種々相

利家の薨後久しからずして、慶長五年關原の役ありし時、利長は欸を東軍に通じたりしを以て、西軍の與黨山口宗永丹羽長重と戰ひ、次いで二氏の遺領を併有することを得たり。是に於いて慶長九年戰勝の報賽として、諸橋大夫をして石川郡寺中村なる佐那武明神に毎年御事能を興行せしむるの例を開けり。寺中の能と稱せられて、今尚連綿たるもの是なり。

 今度合戰勝利之爲報賽能美郡小松邊罷在候諸橋を以、寺中さらた(マヽ)け明神神事大夫として、毎歳能可興行候。仍如件。
    慶長九年八月六日                    利   長 在判
〔石川郡大野湊神社文書〕
       ○

 さらたけへ米廿石まいらせ候。彌祈禱も能もげだいなく御つとめ候てよく候。さし。
    八月十五日慶長九年)                       利   長 在判
〔石川郡大野湊神社文書〕
       ○

 當地於寺中、來十五日神事能執行申由候條、當町役者共何茂罷出候樣可仰付候。爲其申入候。恐々謹言。
    八月二日(寛永中)                        横 大膳亮(横山康玄) 在判
                                奧 河内守(奧村榮政) 在判
                                奧 因幡守(奧村易英) 在判
      葛卷隼人(金澤町奉行)殿
      長瀬五郎右衞門殿
〔石川郡大野湊神社文書〕