石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第九節 金澤城及び城下

尾山城が金澤城と公稱せらるゝに至りたるを、文祿修築の際にありとするは三壺記及び越登賀三州志のいふ所なるも、その必ずしも然らざるは、前に掲げたる天正中秀吉の消息に、夙く『金澤と申城』とあるに徴して之を知るべく、且つ文祿修築の後に在りても、同三年九月七日及び十月八日附の利家の印書に、尚尾山町年寄中又は尾山町中と記せられ、慶長五年八月廿四日附家康の消息にも、『先々小山(尾)まで御歸陣之由尤に候。』とあれば、城郭としても都市としても、尾山とも金澤とも混用せられたるなり。但し慶長十年十月二十八日の制札には金澤町とし、その後の公用書類には全く尾山の名を見ざるを以て、利常襲封の頃よりは金澤町又は金澤城とのみ稱するに至りしものゝ如し。