石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第九節 金澤城及び城下

金澤城の防禦線たる外總構の成れるは、その後慶長十五年に在りき。時に利常幕府の命を受けて名古屋城經營を助け、篠原一孝を金澤に留守せしめしが、諸士の閑暇多きを見、乃ち彼等に課して之を掘鑿せしめしなりといふ。外總構は之を二區に分かち、東外總構は八坂より起り、材木町の西を經、小鳥屋橋より淺野川に通ずるものにして、その長さ十二町四十間、幅一間乃至二間半とし、西外總構廣坂通の南方なる疊屋橋より起り、宮内橋を經て厩橋に至り、鞍月用水に合し、香林坊を過ぎ、長町川岸に沿ひ、四屋橋に至りて鞍月用水と別れ、之より更に掘鑿して圖書橋を過ぎ、安江町升形を經、鍛冶片原町・瓢箪町を經て淺野川に達するもの、長さ二十六町三字を間、幅五尺乃至二間とす。外總構の成るに及び金澤城の防禦は、最前線として淺野川・犀川を利用する外、東北に在りては内總構の枯木橋、西北に在りては外總構の升方、西南に在りては又鞍月用水の香林坊等を最も要害の地點とせり。