石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第九節 金澤城及び城下

城内に於ける殿閣築造の次第に至りては、今之を知る能はずといへども、思ふに利家の入城以後、その豐富の資を傾け、大阪・桃山・江戸等の華麗に倣ひて頗る完備するに至りしなるべし。然るに慶長七年十一月晦宇賀祭の夜、天守閣に雷火起り、烈風の爲に大臺所に延燒したるを以て、本丸の屋宇悉く烏有に歸し、火藥庫も亦爆發せり。常時城南の壘側に三十三間の的場あり、その外に櫻の馬場あり、更にその外に堂形と稱する米廩ありて、高畠平右衞門の邸直にこれに接したりしが、平右衞門は火災の起るを見るや走せて城内に入り、利長利常の二夫人を奉じて興津内記の居に避難せしめ、侍女は之を中川光重の家に移しゝに、利長利常も亦二丸・三丸の臣邸に入れり。後殿閣新營の工を興し、明年春に至りて竣れりといへども、この時以後又金澤城に天守閣を設くることなく、三層の櫓を以て之に代ふることゝせり。諸書或はこの火災慶長十年に在りとするものあり、或は七年と十年との二次に在りとするものあれども、恐らくは十は七の誤寫なるべしと思はる。越登賀三州志にも亦七年説を採れり。