石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第九節 金澤城及び城下

利家の薨後、慶長四年九月利長大阪より金澤に歸り、幾くもなく越中婦負郡に放鷹せしに、偶上國に在りては、利長が不軌を圖らんとするを以て、家康將に兵を出して之を征せんとするの風聞あり、人心爲に恟々たりき。利長報を得、直に金澤城に歸りて群臣と議し、横山長知を派して家康に辯明する所あらしめ、また城外の塹濠を鑿ちて萬一の異變に備へたりき。その土工は高山南坊之を總監し、工區を分かちて士普請とせしかば、僅かに二十七日間にして成れり。塹濠の位置は、城を距ること百聞より二百五十間に及び、今の小尻谷町に起り、小將町・賢坂辻を貫き、味噌藏町片原町の西側に沿ひ、枯木橋を經、橋場町の西裏より淺野川に達する長十一町三十間と、上松原町・下松原町・青草町より下近江町を經、彦三一番町・同二番町の南端を過ぎ、下新町裏より主計町に至りて淺野川に達する長さ十四町五十間のものとの二條あり。後世内總構と稱するもの即ち是なり。