石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第八節 社稷の危殆

家光また嘗て内書を利常に遣はし、豫め期を定むることなくしてその邸に臨むべきを約せり。利常乃ち茨木小刑部に命じて作事奉行たらしめ、本郷邸の園池を修め、富士見亭・麻木亭・三角亭・鳩亭の亭榭を設けて趣致を添へたりき。寛永十七年三月二十八日家光鷹を近郊に放ち、歸路邸の通用門より入りて書院に臨みしに、利常兒小姓を踊子として、その舞踏を台覽に供し、盛饌を備へて之を饗せり。將軍のこの臨邸は、舊來加賀藩の諸書多く十五年二月十八日に在りとせり。然れども徳川氏の記録を見るに、その日將軍外出のことなきが故に、恐らくは誤傳なるべし。

 三月二十八日(寛永十七年)午下刻御鷹野(家光)に出御、夫より直に松平肥前守利常)下屋敷え御成、酉の刻還御。肥前守御禮登城可仕之處、依病後無用之由、酒井岐守(忠勝)傳上之旨。依之息筑前守(光高)・淡路守(利次)御禮に登營
〔天寛日記〕