石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第八節 社稷の危殆

寛永字を二年正月利常江戸に如く。三月對馬侯宗義成、その老臣柳川調興と爭ひて幕府の裁斷を請ひしに、將軍家光は列侯と共に親しく訟を聽き、以て理非を決せんと欲し、偶城中に在りし利常等を召せり。利常乃ち故らに衆に向かひて、將軍の彼等を召す理由如何を問ひしに、傍人實を以て之に答へたりき。利常曰く、果して然らば何ぞ余輩の參與するを須ひん、將軍之を專斷して可ならんのみ。余今宿痾大に作る、請ふ直に退きて邸に就かんと。幕府の目付之を聞きて、利常が將軍の命に遵はざる所以を詰る。利常曰く、若し臣下にして主君と議論を上下する如きことあらば、亂階の端を生ずる恐あらんと。遂に參決せずして止めり。利常の意、蓋し機に臨みて自ら幕府に絶對服從の念あることを明らかにせしなり。是より幕府加賀藩との間一屑の輯睦を加へ、この年九月二十日家光は利常の三女滿姫を養ひて、十一月これを廣島侯淺野光晟に嫁せしめ、之と同時に家光の贅壻たる光高の威福は益柳營に重きを爲すに至り、同年十月家光が板橋に遊獵を試みたる際の如き、光高これと手を携へて歡語せりと傳へらる。

 先年(寛永十二年)上樣(家光)板橋口にて御鹿狩の御時、御一門中御譜代衆御大名、皆々出させ給ふといへども、光高公は將軍と御手を引合、御物語被成御有樣を皆拜し奉り、御威光目出度御事天下に隱れましまさず。御登城被成節は、御城御式臺所々番所蹲踞し、御引馬御先へ立、江戸中御出被成節は、御三家衆よりいかめしく勝れさせ給ひけり。
〔三 壺 記〕