石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第八節 社稷の危殆

是より先、元和元年冬藩臣奧村榮頼の仕を致して去りしことあり。榮頼は永福の子にして、初め三郎兵衞といひ、後攝津と改む。人と爲り敏慧にして才辯衆に抽で、利長利常二侯に歴仕し、次第に祿を増して七千石に至り、侍に利常の封を襲ぎたる後はその重用する所となりて、一殆ど之と肩を比するものなく、大小の事皆彼に決したりき。老臣横山長知が一たびその地位を失ひたるも、亦榮頼の之を陷れたるによるといふ。既にして大阪冬陣の起るや、長知復歸りて利常に仕へしかば、榮頼の心中大に平かならざるものありき。この役利常、榮頼に命ずるに三萬石の資格を以て軍に從はしめしを以て、榮頼は多く浮浪の徒を驅りて士卒の數を充たし、その戰に臨むや兄榮明の言を用ひず、昧爽進みて眞田丸を攻めしが、天明くるに及び謬りて餘りに敵城に近接したるを知り、且つ銃丸雨注したりしかば倉皇として兵を退けしに、人その輕躁を議する者あり、利常も亦漸く之を疎んずるの色ありき。元和元年冬、利常越中に放鷹を試みんとす。榮頼己の從行を命ぜらるべきを豫想し、平明行裝して城に登りしに、利常は之を顧みず、横山長知を伴ひて途に就けり。榮頼乃ち快々として樂しまず、殿を下りて城門を過ぎ、偶兄榮明の出仕せんとするに會せり。榮明その何が故に退くやを問ひしに、榮頼は應ふるに實を以てし、顏色甚だ異常なりき。幾くもなく榮頼書を利常に上りて曰く、客冬の戰に臣命によりて三萬石の軍役を奉ぜり。而も臣の受くる所は七千石に過ぎずして、現に有する配下を扶持するに足らず。願はくは加俸を給へ、否らずんば請ふ致仕して去らんと。利常之を聞きて大に怒り、親ら筆を執りて批して曰く、唯汝の欲するが如くせよと。是に於いて榮頼は去りて江戸に往き、幾くもなく幕府に訴へて封内の秘事を摘發せり。將軍乃ち利常に封して詰問せんとすとの風聞ありしかば、利常は豫め松平康定を選びて釋明の任に當らしめんとせり。康定の子治部康高、私かに父に告げて曰く、大人能く武技に長ずれども辯舌に短なり。是を以て衆皆大人の榮頼と對決する時、必ずその屈服する所とならんを危めり。如かず侯の負託を辭して往かざるの勝れるにはと。康定笑つて曰く、衆人皆余の眞骨頭を知らず。抑余の辭令に拙劣なる、侯豈之を知らざるの理あらんや。而も他人を措きて余を選びしもの、余が能く身命を抛ちて榮頼を倒すの勇あるを以てなりと。衆之を開きて、利常が人を知るの明あるに服し、康定の忠勇無双なるを賞せり。既にして榮頼の訴遂に行はれざりしを以て罷む。初め榮頼、本多政重と親善なり。眞田丸の戰に榮頼、政重と共に兵を進めんと謀りしが、政重は之を辭し而して榮頼は敗衂せり。後榮頼の仕を致すや、政重友誼を思ひて倶に去らん止欲したりしが、横山長知の諫によりて止む。榮頼の同胞も亦行動を一にせんと欲し、之を父永福に謀る。永福色を作して曰く、汝等若し去らんと欲せば、我が首を刎ねて後に之を決せよ。余は不義の兒に與して主君に背くこと能はずと。兄弟則ち之に服せり。榮頼の江戸に在るや、本多忠純之を松平忠輝に薦む。政重、忠純が己の兄なるを以て書を致して曰く、榮頼の父兄皆我がに在り。異日加賀侯にして譴を解くあらば、則ち固より我に招致せらるべし。請ふ暫く彼を他に薦むることを止めよと。而して榮頼、復仕の事未だ成るに及ばずして、京師に殘したりき。