石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第七節 大阪兩陣

能登國瀧谷日蓮宗妙成寺の伽藍が修築整備せられしはこの戰後に在り。初め日淳といふ者あり。越前の人、上木氏。利常の生母壽福院の兄にして慶長十三年妙成寺に住す。壽福院乃ち利常に請ひ、その本堂を改め造らしむ。棟札に『維時龍集慶長第十九暦卯月良辰建橈之者也。常山妙成教寺。大工坂上又三良』と見えたるによりてその成れる年紀を知るべし。番神堂も亦同年に竣功すと傳へらる。既にして戰役の起るや、壽福院が當寺に命じて利常の武運を祈願せしめしが、元和元年には日淳退隱して日條之に代れるも亦壽福院の甥なりき。之を以て利常大に同寺の規模を擴張し、同四年五重塔を、九年三光堂を、寛永二年樓門・鐘樓を竣成せしめ、祖師堂・客殿亦この間に起る。蓋し壽福院の志を成さしむると共に、その戰勝を得たる報賽となしゝなり。此等の中、本堂・塔婆・開山堂は、明治三十九年四月特別保護建造物に指定せられ、番神堂・三光堂・樓門・鐘樓・書院は、後に前田綱紀の世寛文九年に竣功せる經堂と共に、大正六年八月同じく特別保護建造物となれり。

國寳妙成寺塔婆 在羽咋郡上甘田村