石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第七節 大阪兩陣

戰終るの後、利常に入りて北野に留りしに、五月十三日家康感状を授けて前後兩役に於けるその功勳を賞し、提封を増して阿波・岐・伊豫・土佐の四國を與へんとせしが、利常之を固辭したるを以て、加賀・能登越中を領せしむること舊の如くならしめき。是の月二十四日利常の兄利政、書を江戸の生島主計に致して利常の戰績を稱し、又北堂芳春院の健在を賀せり。利政世の成敗を度外視し、豐臣氏に應ぜず、徳川氏に仕へざりしも、尚宗家の繁榮を悦びたりしなり。而して將軍秀忠は閏六月十九日利常の官を參議に進め、以て増封に代へたりき。

 今度秀頼企逆心、國々え回調略候處不加判、去年極月四日眞田丸え執掛、家中面々數多被討死、加之五月七日於岡山比類合戰斬勝、大坂落居、盡粉骨軍功候條、不勝計之旨御感に思召、爲加増阿波並岐・伊豫・土佐四ヶ國一圓雖宛行、斟酌之上は本國三ヶ國如前々領分者也。
    慶長二十年(元和元年)五月十三日                   家   康 在判
      松平筑前守(利常)殿
〔金澤市中古文書〕
       ○
已 上
 來状披見申候。仍大坂早速落城にて、上下倶大慶推量可之候。殊筑前殿手柄之事にて珍重存事候。其元芳春院樣一段御息之由、何より滿足此事候。猶追而可申述候。恐々謹言。
    五月廿四日(元和元年)                        利   正(利常) 在判
     生島主計殿
〔北徴遺文〕