石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第七節 大阪兩陣

前役の後、豐徳二氏の關係が如何に推移し、而して遂に再戰の避くべからざるに至りしかは、こゝに述ぶるの必要を見ず。慶長二十年(元和元)三月利常は將軍を候問せんが爲江戸に赴きしが、四月朔日暇を賜ひしを以て、東海道を經て歸藩の途に就き、越前今庄に入りしに、幕府は急使を馳せ、東西の和議復破れたるを以て直に出軍すべきことを傳へたりき。是に於いて利常は一たび城に歸りて部署を整へ、奧村易英・三輪長好二人を金澤城代とし津田重久を大聖寺に、岡島一吉を高岡に、津田義忠を富山に、三輪吉宗・大井直泰を七尾に置き、十八日金澤を發して出征の途に上れり。從軍將士一萬五千と稱す。二十六日利常軍令十五條を定めて之を各部隊に別つ。その文前役に於けるものと少差あるのみ。或はいふ。利常今庄に入りしは十八日にして、その金澤を出發したるは二十一日に在りと。未だ孰れが是なるを知らず。
軍  法
 一、武者押並陣取之次第、一組宛先繰々々不入込樣に河申附、備を離、爲私と陣取散々有之族、可越度事。
 一、武者押の時、脇道之義、一切有之間敷事。
 一、旗本騎馬之次第、定置通り不相違、主人おり立候共、右之次第に爲牽可申事。
  附、渡可同前。若猥に相交に於ては可曲言事。
 一、敵陣へ先手遣候砌、小姓・馬廻並後備之者、先手へ爲見廻(ミマヒ)相越候儀、堅令停止候。惣而他之備相交儀、可曲言事。
 一、先手之者共組々定置所に、組頭指南之外、自分之働一切不之。諸式組頭次第に可仕事。
 一、先手之者ども並旗本面々、我々背下知備を崩、卒爾之働仕候に付ては、縱令雖高名、可曲事事。
 一、諸事奉行人申付儀不相背。自然不屆之輩、對奉行申分者、不入理非、其者可越度事。
 一、當座之爲使、如何樣之者差遣と云とも、不異議其沙汰事。
 一、於陣所馬取放に於ては、其主人より、過錢百疋宛可出事。
 一、先手之頭並旗本奉行人之儀、馬上にて可下知事。
 一、浪人衆、不誰々他所衆、當家之先手へ相加り候事一切停止之事。
 一、喧嘩口論仕出輩有之者、任法度之旨、双方共可成敗、若手を過す者見のがすに於ては、其場在合候者、可越度事。
 一、御當家對御昵近衆、若致慮外者有之に於ては、以來聞次第可曲言事。
 一、不侍・小者、家中走者、いづれの家中に有之と云共、於當御陣中捕候儀一切不之。自然曲人見屆に付ては、當主人預置、後日斷可申事。
 一、御味方地に於て、下々まで狼籍不仕樣可申付。宿賃以下如御定渡遣事。
 右之條々若背輩者可曲言者也。
    慶長二十年(元和元年)四月二十六日                  利   光(利常前名)
〔國事雜抄〕