石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第七節 大阪兩陣

利常の在陣中に於ける領國内の事情は、之を明らかにすべき資料を得ずといへども、利常夫人が侯の安否を憂へ、用人興津内記を越中の埴生八幡宮に詣でしめて戰捷を祈願し、社人をして護符を上らしめたる事あるが如きは、之を文書に徴して知るを得べし。又戰時中各地に戍を置けることは、既に之を言へるが如くなりといへども、尚土民の盲動せんことを慮り、各郡一向宗大坊の寺主を金澤に居らしめ、彼等を質として配下各寺院に各その門徒を取締らしめたるが如く、この事珠洲郡妙嚴寺文書によりて證すべきなり。
巳 上
 一書令啓候。然者兩御所樣・筑前樣、御三人御陣之御祈禱、從上(利常夫人)樣成度之由被仰出候間、其元於御神前祈念候而、御守札可御上候。此度之義候間、隨分被御情候事肝要候。尚追而可申入候。恐々謹言。
    慶長十九年                      興 内 記(興津)
      十一月廿四日                     忠   治 在判
     埴生神主殿
        御 宿 所
〔越中埴生八幡文書〕
       ○
能州鈴郡道場方證人(珠洲)の事
 一、自身  定詰                      うかひ 妙嚴寺
 右番之事、無滯自身相詰可申候。自然相煩申候者及御理、於同心者實子を指上可申候。然者此連判之者共之儀、奉公儀少も企非分仕間敷候。並門徒中町人百姓によらず、於當御陣中或いつきを催或公儀を背、不屆之儀無御座申聞候。若不屆之子細御座候ば、誰々によらず早速可申上候。萬一見かくし聞かくし申に付て者、此連判のものども可成敗候。仍門徒中御請状如件。
    慶長拾九年十二月七日                 うかひ  妙嚴寺 在判
                               いゝ田  乘光寺 在判
                              若 山  正福寺 在判
                               正ゐん  西光寺 在判
                               松 波  高福寺 在判
                               上 戸  善慶寺 在判
                               小 木  妙樂寺 在判
                                    覺性寺 在判
                                    光行寺 在判
                                    光樂寺 在判
                                    淨福寺 在判
                                    慶 覺 在判
                                    善 海 在判
                                    永誓寺 在判
〔妙嚴寺文書〕