石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第七節 大阪兩陣

十一月二日利常天神森を發し、河内國飯盛に近き砂村に次す。三日石川忠總の兵平岡に至らんとして、前田勢の砂村にあるものに遇ひ、以爲く、加賀の兵甚だ衆し、若し彼等の悉く去るを待たば恐らくは期を誤らんと。即ちその營を横ぎりて進み、大久保權左衞門の隊も亦之に尾せり。前田勢大に怒りて喧囂せしが、權左衞門の處置當を得たりしを以て僅かに事なきを得たりき。五日利常砂村を發して高安に至り、六日小山に宿り、七日攝津國田邊に至りて閲兵し、八日・九日同所に在りて苅田を行ひ、十日矢野に至り、十三日阿部野に轉じ、十七日住吉に赴きて家康に謁せしに、家康利常及び藤堂高虎を召し、地圖を按じて攻撃計畫を説明せり。冬陣日記に之を十八日に係くるものは誤なり。この日以後將卒皆甲冑を著せり。而して前田勢の本營は尚阿部野に在りしも、前軍は岡山口に派せられて敵に對峙し、利常は屢之を巡視したりき。二十一日利常領内の農民に令して、『國中藏入並給人地當年々貢米之事、代官給人留守たるによつて、令難澁百姓之候ば、一類共に可曲言事。』といひ、以て及び諸士收納に後顧の憂なからしむるを期す。