石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第七節 大阪兩陣

前田氏君臣の方針が此の如く確定したりしことは、豐臣氏の諸將の探知する能はざる所なりしか。或は略之を知るも如何にもして自黨たらしめんと焦慮せしか。孰れにしても大阪方は、尚盛に秋波を前田氏に送りたりき。さればこの年五月利長の簀を易ふるや、大野治長利常の臣長連龍に書を贈りて、彼が不幸にして東下せんとする時に際したるを以て、その葬儀に參列し得ざるを恨むといひしが如き、辭令の極めて慇懃なりしものその心事の何れにあるかを察すべきなり。

 内々罷下候て可申上候と奉存候へども、俄爲御使駿河・江戸へ罷下候付、以使者申上候。此度御葬禮にも不罷下候。扨々迷惑仕候。御次而然樣筑前(利常)樣へ御取成奉頼存候。猶使者申上候。恐惶謹言。
                           大野修理大夫
    六月十二日(慶長十九年)                      □     在判
     長 九郎左衞門(連龍)殿
           人々御中
〔長家文書〕