石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第七節 大阪兩陣

かくて豐臣氏の擧兵は、軍に時期の問題たるに止りしを以て、前田氏に於いても素より緩急に處するの方策を講ずるに怠らざりしなるべし。時に利長の病益篤かりしかば、利常本多政重を伴ひ高岡に至りて之を省せり。利長政重を見て曰く、我今老いて病み、世に在るもの甚だ久しからざるべし。然るに利常の齡尚弱きを以て、身後多少の憂なしとせず。願はくは卿彼を輔導し、事の宜しきに隨ひて處置すべし。抑今日の世情を察するに、東西難を構ふること必ず近きに在らん。是の時に當りて、利常配下の宿將その藪に於いては決して尠しとせざるも、皆既に老羸にして馳聘に堪へざるが故に、戎馬の事は一に卿の力を煩はさゞるべからずと。政重乃ち之に對へて曰く、謹んで命を聞けり。然れども勝敗は兵家の常なるが故に、前將軍固より神謀鬼算あるべしといへども、必ずしも功を收むるを保する能はず。不幸にして我に不利なるものあらば、臣は主君を奉じて國に就き、封境を固めて之を守り、時機を待ちて出動するの策を取らんと欲す。果して可なるべきかと。利長聞き終りて色を作し、徳川氏にして捷つ能はずんば、これ直に利常の死を決すべき秋なり。封土に據りて風雲に乘ぜんとする如きは、利常の智術能く堪へ得る所にあらず、余は決して此の如くなるを希はざるなりと勵ましゝに、政重、微臣今にして針路を明らかにするを得たりとて、利長の垂示を謝したりといふ。當時前田氏舊勳の老臣尚鮮からず。然るに利長が、殊に新參の政重に後事を託したりしは、彼を通じて前田氏の誠意を明らかならしめ、以て徳川氏の嫌疑を避けんが爲なりしなるべし。