石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第六節 基督教の傳播


 一、切支丹宗門徒、前々無懈怠今以相改申候。先年被仰出候御法度書の趣彌相守、能登國之内加賀中納言前田齊泰)え御預所並中納言領分、在々所々に至迄遂穿鑿、家中之者下々迄是又致僉議候處、不審成者無御座候事。
 一、轉切支丹類族之者共、常々之行跡疑敷儀無御座候事。
 一、御預所並在々所々、家中之者下々またものに至迄、若此以後不審成者於之者、早々可申上候事。以上。
    文久三年癸亥十月四日                 奧村伊豫守
                               本多播磨守
〔袖裏雜記〕
       ○

 加賀中納言家來傳切支丹類族内藤休市せがれ、本人同前内藤彌右衞門玄孫、又八曾孫、彌三郎孫但養子、内藤武助せがれ、秀多郎隱居名三知翁儀、當子七月晦日七十九歳に而、せがれ於内藤義兵衞宅病死、檀那寺日蓮宗能登國敷波村大蓮寺に而取置申候。
 右之通類族一人致病死、轉切支丹類族之者根切に相成申候。其外生存之者無御座候。依之爲御屆斯御座候。以上。
   元治元年甲子年九月                  本田播磨守
〔御家人舊條記〕