石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第六節 基督教の傳播


      寛文(上書)十一年七月十日
        宗門御改之帳              小松何町分
 一、淨土眞宗小松本蓮寺旦那         何屋誰子何兵衞妻女
 一、同   小松稱名寺旦那         同人下女こや
                       能美郡何村何娘
  〆
 一、淨土眞宗能美郡任田村七郎右衞門[東本願寺下直衆]旦那   何屋何右衞門下人誰
                       能美郡一針村誰子
 一、同   能美郡祐泉寺村善介旦那     同人下女誰[金澤常福寺下]
  〆
 一、同   小松淨誓寺旦那            埴田屋何兵衞妻子共
  〆
 一、同   小松勸歸寺旦那         何屋何右衞門借家十兵衞妻子共
  〆
  合何百何十人
   内百何十人               淨土眞宗
    何十人                日蓮宗
 右者耶蘇宗門御吟味に付、寛文四年御改に書付申者指除、五人組切に吟味仕、寺請を取、帳面に記上申處相違無御座候。若於以來不審成者御座候はゞ、早速御斷可申上候。以上。
    寛文十一年七月十日                  何町肝煎  誰
      小松御町會所
 右宗門改如此吟味仕候處、相違無御座候。以上。
                               久津見忠兵衞(町奉行
      篠原 織部殿
      永原 左殿
      赤尾 主殿殿
      坂井與右衞門殿
〔小松舊記〕
       ○

 轉切支丹樋口忠兵衞忰、本人同前樋口與五左衞門娘さく忰矢田萬六郎儀、當十一月二十四日、四十四歳に而、萬六郎於宅致自害候に付、堀平馬・河地勘五右衞門被見屆、自害紛無之故、當寺旦那に付死骸御渡被成、則於寺内土葬に取置申所相違無御座候。以上。
                           淨土宗金澤泉野寺町
    享保十四年十一月廿五日                大 圓 寺 印判
      富永數馬殿
〔御家人舊條記〕
       ○

 轉切支丹松井慶雲曾孫、能州所口醫師松井温庵娘、御自分妾さわ儀、一昨廿六日御自分於宅令縊死候旨、縮人淺井織江より以紙面申越候。依之爲檢使御徒横目早速可指遣候間、其御心得可之候。以上。
    三月二十八日(享保十九年)                       伊藤彦兵衞
      毛利與市殿
〔御家人舊條記〕
       ○

  乍恐申上候。
 一、轉切支丹指物屋與市郎玄孫與左衞門忰與三太郎、御縮之者に御座候。然處御門前町に家所持仕罷在候處、勝手難澁仕候に付、今般能登屋傳七と申者え家賣却、則右傳七方に借屋仕度旨、組合之者共に示談仕候段申聞候に付奉願候。御聞屆被成下候はゞ、右之通爲仕申度、私共より奉伺候。以上。
    寛政八年八月十六日                  組合頭  六郎右衞門
                              肝煎 藤  助
    町御奉行
〔町會所覺書〕
       ○