石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第六節 基督教の傳播

然りといへども、外教の爲に命を殞しゝ者、内に一人もこれなかりしにはあらず。南坊の法弟に鈴木孫左衞門ありしが、慶長十八年に於ける外教禁止の際、彼は轉宗を誓ひて處刑を免るゝことを得たりき。後孫左衞門は越中魚津に駐在し、尋いで江戸に祗役せしに、その際孫左衞門が内心眞に改悔せしに非ざるを密告する者ありしかば、は之を江戸より召還し、その一族上下七人を魚津に殺せり。この時金澤に盲人澤市といふ者ありしが、孫左衞門と交りて教義を傳へられ、その他之と信仰を同じくする者尚十餘人を算へしに、は澤市夫婦を郊端泉野に殺し、その餘を悉く梟首に處したりき。この事の三州奇談に載せらるゝものは、粉飾多きに過ぎて事態の眞を失へるが如しといへども、孫左衞門の刑せられたるを魚津在住大音主馬の時に在りとするは參考に資すべく、主馬の魚津在住は寛永四年乃至十三年に在るが故に、略その時代を知るべし。契利斯督記に、家光時代加賀に宗門の徒を出せりといふもの、亦この事件を指すものゝ如し。