石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第六節 基督教の傳播

長崎出帆以後に於ける南坊行動は果して如何なりしぞ。クラセに據れば、南坊及びその妻ジユスタ等は、宣教師八名、宣教師の稱號を得ざるもの十五名、耶蘇會學校の日本少年十五名、多數の西班牙教師等と共に、フイリピン島に向かひて出帆せしに、偶暴風の飜弄する所となり、一ヶ月に亙りて海中に漂蕩し、その船體の古く且つ積載量の過多なりしが爲に、船底に罅隙を生じて海水の浸入を招き、小船内の生活特に困難なるものありしかば、四名の教師をして命を殞さしむるに至りしも、南坊等は能く之に堪へて遂に目的地に達したりき。その呂宋到着は、コリンに從へば陽暦十二月廿一日なるが故に、陰暦に於ける十一月廿一日なりしなり。