石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第六節 基督教の傳播

家康の外教禁止を實行する爲に、その宣教師を國外に放逐し、又邦人にして信徒たるものを轉宗せしむべしとの命令が、利長の許に達したりしは、利長が恰も元且の祝宴を張りし時に在りしとコリンはいへり。利長乃ち之を地方教徒の首領たる南坊に傳へしに、南坊と親交ある武士等はこれに勸めて、彼及びその妻子を當面の難境より救はんが爲、一時僞りて轉宗を誓ふの利なる所以を説きたりき。南坊も亦固より這次の命令違反が、流刑にあらずんば死刑の一大悲劇を齎すべきを知れりといへども、彼は内藤徳庵・同好次・宇喜多久閑(千五百石)・品川(千石)・柴山權兵衞(五百石)等の同志と謀り、遂にデウスの爲に一命を献げんと決心し、又彼等と共に金澤に在りし宣教師に對し、密かに此の地に止りて殘餘の教徒を慰籍せんことを囑し、之に關する方法を示したりき。宇喜多久閑は宇喜多秀家夫人豪姫が金澤に歸りしとき伴ひ來りたるものなり。而して宣教師といふは、三壺記に『金澤甚右衞門坂の下にばてれんあり』と記したるものにして、西班牙人バルタザル・トレスなるべし。トレスは名門に生まれて哲學と神學とを學び、後マカオに在ること八年、慶長五年京都に渡來して日本語を學び、大坂に移りて布教し、十年加賀に入り、十九年に至るまで滯留せりといふ。