石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第六節 基督教の傳播

内藤徳庵諱は忠俊、飛騨守と稱す。その如安とも號するは、數名のドン・ジユアンより採れるなり。父源左衞門は織田信長に仕へて丹波に封ぜられ、祿二十萬石を食めり。徳庵年十六にして軍に從ひ功あり。父の歿後封を襲ぎしが、次いで致仕して野處すること數年、又小西行長に仕へ、文祿の役之に隨ひて朝鮮に赴き、行長の明國と媾和を議するに及び、徳庵その使節となり、小西如安の名を以て屢往返措辨せり。後加藤清正に寄りて五千石を食みしが、清正が外教を好まずして之を追へるを以て、轉じて前田氏の臣となるに至りしなり。その俸祿は四千石とし、又二千石に作らる。子釆女好次亦肥後に在りて三千石を食みしが、前田氏に來りて千七百石を得たり。