天正十五年
秀吉九州を征す。時に
南坊は播磨國明石の城主たりしが、又その軍に從ひ、
基督教の諸大名と共に十字旗を陣頭に飜して大に勇名を顯せり。然るにこの役、偶
秀吉は
基督教の
禁止を令し、伴天連等をして日を期して國外に去らしめたりしが故に、同時に命を
南坊に傳へ、彼が改宗を肯ぜざる時はその
領土を沒收して
追放すべきを以てせしめたりき。
南坊乃ち之に應へて、
秀吉の爲にはその生命を捧ぐべきをも辭せずといへども、
基督教は彼が
幼時より信奉する所にして、到底之を捨つるに忍びずと答へしに、
秀吉は大に怒り、遂にその
領土を奪ひて彼が宣言を實行せり。