石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第六節 基督教の傳播

ハビアンは又バビアンとも、パピアンとも記され、巴比弇又は梅庵の字を假用することあり。ハビアンは素と加賀の産にして、惠俊と稱する禪僧なりしが、夙に京師に出で、南蠻寺の伊留滿によりてその痼疾を癒されたるを癒とし、遂に受洗して布教に從事し、又醫術を學びて施療を行ひたりと傳へらる。惠俊は一に惠春にも作り、その經歴の珍とすべきは、彼が佛家より出でゝ最も早期の基督教傳道者となりたる點に在りとす。

 生國加賀國の禪僧惠俊と云者成しが、癩病を煩、形ち見苦敷、人交りも難成、生國を出で乞食と成、都へ登さまよひあるきて、眞葛原に倒れふし、今は命も消えなんとする折から、右の南蠻寺へ連行、伊留まん療治を加へければ、次第に本ぶくして終に元の形と成。依之宗門を歸依し、名をはびやんと付、則同宿とす。殊に發明なる故、寺の執事の第一と成。
〔切支丹宗門來朝實記〕
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 生國加賀の國の者にて、禪家の僧、名を惠春と號す。此僧癩瘡を病み、身體破れ膿血溢腫、僧家の交り叶はず。其親貧賤にして保養すること叶はざりければ、乞食となり京師に至り、癩瘡漸くに平癒して、遂に全體快復することを得たり。此僧大きに悦び、誠に不思議の因縁を以て天帝廣大の恩惠を蒙り、難病忽に全快を得て再び人界の生(苦カ)をまぬかる。此高恩を報ぜんには縱令粉骨碎身すとも宗門の爲にせんこと本望たるべしとて信心に歸伏す。
〔南蠻寺興廢記〕