石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第五節 三國統一

本多政重はその後尚初志を固執して政局の表面に立つを肯ぜざりしを以て、元和二年利常は庶政を横山長知に委し、政重の同意を得たる後之を決行せしむることゝし、且つ政重家康秀忠二人に謁見を許されて、所謂日蔭者たらざるに至らば、内外の政務を指揮すべきことを命じたりき。

 一、書付何れも御聞屆被成候。こまかなる義は安房守には似合不申候と、内々被思召候間、結局おもし(重石)かろく見へ申候間、こまかなる事は山城守(横山)可申付候。但少之義をもあわのかみにだんがう仕、其上にて可申付候事。
 一、御家中ふれ状、又は何ぞ仰出しの時は、安房守を以被仰出候と、状之文躰にも又は口上にても可申付事。但相談候て判形仕り可然義には、安房守判形可仕候事。
 一、氣相あしく、こゝろ六敷候時は出仕に不及候。天氣能時は用無之とも出仕いたし、萬事可申付事。
 一、池田御供之義、理り御聞屆被成候。こなたより御さしづ可成との義に候事。
 一、兩御所樣御目見へ被仕候上は、自國他國之義によらず、萬事のさし引可仕候御事。
 右御諚之趣承候所如此。
    辰正月十一日(元和二年)
〔本多家記録〕