石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第五節 三國統一

前田氏新川郡を失はざるを得たりしば、實に政重の功によれり。是を以て十九年利長の薨後利常は前約を履行し、六月十三日附を以て政重に二萬石を加増し、合計五萬石を食ましめき。蓋し秩祿の大なる海内陪臣の筆頭に居り、爾後加賀藩に於いて『安房樣と駄賃持』なる語は、月鼈霄壤の意を表するが爲に用ひらるゝことゝなれり。或は曰く、新川郡返上問題の起りしとき、前田氏政重に約するに、事若し功を奏せば十萬石を與へて小松城代に任ぜんことを以てしたりき。政重因りて密かに之を父に告げしに、正信は、食祿の多きに過ぐるを以て禍を招くの基なりとなし、假令侯の賞賜あるも五萬石以上を受くべからずと戒めたりしによると。利常が六月十六日書を本多正信父子及び土井利勝に與へて、政重が先侯利長の遺命を奉ぜざるを嘆じ、彼等の説諭によりて政重を承服せしめんとせるは、利常政重を以て名實共に老臣の首班たらしめんとせしに、政重は先に原戰役の際西軍に屬したる公儀日蔭者たると、前田氏に譜代の老臣多きとを理由として、命を奉ぜざりしが故に外ならざるなり。