石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第五節 三國統一

利長の人と爲りに關しては、三壺記に一侍臣の言なりとして、利長短慮にしてその命ずる所直に之を爲さゞれば意に滿てりとせず。喧嘩成敗幕府の定むる所たりといへども、利長は理非を正して必ずしも罰せず。人の出自に關せず、武勇あるものは之を用ひ、自ら身を持すること儉素にして、華麗を好まず地位を恃まず。衆を遇するに厚薄なくして、輕輩の言も採るべきあれば之を容るゝに吝ならざりしと記せり。又利長の人を見るの明ありしことに就きては新武者物語に、關白秀次の生害後、富田藏人が殉死せんとして果さゞりしかば、洛中の貴賤彼を怯懦なりとして嘲罵せしに、利長、我が家臣たらんものは敢へて自刄するを要せず、我は唯彼が槍を揮ふの妙なるを採るのみとて、一萬石を以て祿したりしに、後藏人の大聖寺役に從ふや、奮鬪敵中に突入して死せりとの談を載せ、利常夜話には、利常がその兄利長の人を用ひて謬らざりしことを賞し、庶弟たる余を擧げて加賀藩第三世の主たらしめしもの、最もその明智を見るべしと言へることを傳ふ。盛正記に、河野隼人が初めて祿せられて利長に拜謝せし時、彼は自ら長袴を躡みて轉倒せんとせしに、小姓等之を見て嗤笑せしかば、利長は彼等の年長者を敬せざるを怒り、籤を抽きてその一人に自刄せしめ、以て將來を戒めんとせり。隼人則ち彼等の爲に辯疏し、因りて纔かに罪を免るゝことを得たりといへる如きは、能く寛嚴兩面の利長を見るべし。慶長五年西軍關原に大敗し、その頭目石田三成縳せられて二條城の一室に檻せられしに、諸侯伯のその前を過ぐるもの皆面を背けしが、獨利長は歩を停め、士人の戰に敗れて捕へらるゝは決して恥辱にあらず、時運の不利なるが爲のみといひて之を慰籍したりとの事は、夜話之抄に載せて、利長の雅量を證するの佳話とせり。