石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第五節 三國統一

利長利家の嫡男にして、永祿五年正月十二日尾張國荒子に生まれ、童名を犬千代又は孫四郎といひ、初諱を利勝と稱す。天正十一年四月利家金澤城に移りし時、利長松任四萬石を領し、十三年九月十一日利家と共に羽柴氏を冒すを許され、又封を越中國礪波・射水・婦負三郡に移し、後守山城に居る。十一月廿九日從五位下に叙し、肥前守に任ぜられ、十四年六月廿二日從四位下侍從となり、十二月十九日豐臣氏を冒すを許さる。尋いで文祿二年閨九月晦左近衞權少將に昇り、四年權中將に轉じ、慶長二年九月廿八日參議に任じ、同年十月富山城に移り、三年四月廿日利家の封を襲ぎて從三位權中納言となり、金澤城に治し、四年十二月廿日權中納言を辭せり。五年十月十七日に至り利長加賀・能登越中三國を領せしが、十年六月廿八日家を弟利常に讓りて富山城に退き、新川郡等を養老領とし、十四年三月十八日富山城炎上せしを以て魚津に居り、九月高岡に移り、以て十九年五月の薨去に及べり。是に於いて、後水尾天皇は特に卹典を賜ひ、詔して正二位權大納言を贈らせらる。