石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第五節 三國統一

十九年五月利長の病革るとの急報金澤に至れり。利常大に駭きて高岡に至り、親から湯藥を採りて之を侑む。利長利常を見て大に悦び、その手を執りて曰く、我れ生きて汝に訣別するを得たるは、實に望外の幸なり。若し夫れ宿痾の如きは、これ天の命にして醫藥の如何ともする能はざる所なりと。乃ち溘焉として薨ず、齡五十三。時に慶長十九年五月二十日なり。計二十五日を以て駿府に達す。家康偶碁を圍みたりしが、『利長の事、さて〱惜しき事、笑止なり。』といひ、直に石を投じたりと白石紳書には記せり。

 五月十(廿)月、越中富山羽柴肥前守死去。近年唐瘡病惱、終以如此。
〔當 代 記〕
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 五月廿日羽柴肥前守越中外(富)山之城、唐瘡之煩而死去、五十三。
〔慶長年録〕
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 五月廿五日、自加賀飛脚到來。去廿日加賀肥前守利長、歳五十三逝去之由、今日申來云々。在府之諸候麾下多士、爲利長悉登城。
〔駿府政事録〕

前田利長畫像 侯爵前田利爲氏藏