石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第五節 三國統一

この年冬利長は、その養老新川郡の内十萬石の地及び之に對する從臣若干を割きて宗利常に屬せしめんと欲し、之を幕府に請ひたりしに、十七年二月に至りてその許可を得たり。蓋し當時豐臣・徳川二氏の關係復穩かならず、大阪の諸士頻りに利長を延きてその黨たらしめんと企つるものありしを以て、利長は努めて封土と從士とを減じ、以てその勢力の甚だ頼むに足らざるを示さんとするの意に出でたるなりといふ。而して利長の病勢は一時少しく緩慢なるを得しが、初冬に至りて再發せしを以て、閏十月利常復その平癒を祈願せしめ、十八年五月更に之を繰返せり。

 就私隱居分に召遣候者共之内、少々加州へ遣申義、舊冬以別紙申入候通、被上聞候處、被聞召屆候旨、此度被下御内書謹而頂戴、殊忝上意之趣誠以有難次第、冥加之至奉存候由、以御序然樣御取成所仰御座候。恐惶謹言。
                           羽柴肥前守
    子二月十二日(慶長十七年)                     利   長 在判
     本 多 佐渡守殿
      大久保相模守殿
〔前田家文書〕
       ○

 高岳樣御病氣就御再發、從筑前守樣祈念之儀被仰出候。然者於御神前御湯立、撰吉日良辰精誠、頓速被御本復、御延命息御武運長久之可懇祈之旨御諚候。依之八木貳拾俵御奉納候也。仍状如件。
    慶長十七年                      横山山城守
       閏十月八日                     長   知 在判
                               篠原出羽守
                                 一   孝 在判
                               奧村河内守
                                 榮   明 在判
     能州一宮
       大宮司殿
〔氣多神社文書〕
       ○

 高岳樣御病氣就御再發、從筑前守樣祈念之儀被仰出候。然者於御神前御湯立、撰吉日良辰精誠、頓速被御本復、御延命息御武運長久之可懇祈之旨御諚候。依之八木貳拾俵御奉納候也。仍状如件。
    慶長拾七年                      奧村河内守
       閏十月八日                     榮   明 在判
                               篠原出羽守
                                 一   孝 在判
                               横山山城守
                                 長   知 在判
     埴   生
       神   主
〔埴生八幡社文書〕
       ○

      以上
 態令啓達候。然者黄門樣御所勞就御再發、早速被平愈(癒)、御息御延命之樣吉日良辰、於御神前祈念仕之旨候。因子二枚被遣候。就其卷數・御守之儀は、高岡而千福殿迄直差上尤候。恐々謹言。
    慶長拾八年
       五月七日                      奧村攝津守(榮頼) 在判
                                 奧村河内守(榮明) 在判
    埴   生
       神   主 殿
〔埴生八幡社文書〕