石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第五節 三國統一

この後利長の病状頗る憂ふべきものありしかば、五月二十七日利常老臣横山長知・奧村榮明・篠原一孝は、江沼郡敷地神主・河北郡倶利伽羅明王院・羽咋郡宮神主・珠洲郡三崎神主・礪波郡埴生神主に命じて、延命息祈禱を爲さしめ、或は連歌奉納し、或は堂宇の建立を約せり。思ふに此の如きは獨り上記數社に止らず、普く領内の名神靈佛に及びたるなるべし。次いで六月四日利長幕府老臣に書を與へて、先に屢將軍が慰問の内書を與へられたるを謝し、併せて病状の稍輕快に赴けることを告げ、江戸に質となれるその母芳春院訪問の爲に下國を請ふことあるも之を許さゞらんことを請へり。利長が母子の至情を抑へて、幕府崇敬の誠を盡くさんとしたるの状を察すべし。この月京師の醫盛方院法印並びに慶祐法印を高岡に招きて病を診せしめ、利長誓書を盛方院に與へて、その進むる湯藥を服し攝生を守るべきことを約したりき。
高岳(利長)樣就御不例、爲祈念筑前守(利常)樣御立願之事
 一、御湯立
 一、千句之連歌
 右於御神前、撰吉日良辰精誠、頓速有御本復、御延命息御武運長久之可懇祈旨御諚候。被其意、不怠慢、因茲八木五拾俵御奉納候。仍状如件。
    慶長十六年                      奧村河内守
       五月廿七日                     榮   明 在判
                               篠原出羽守
                                 一   孝 在判
                               横山山城守
                                 長   知 在判
     敷 地 神 主
〔菅生石部神社文書〕
       ○
高岳樣就御不例祈念筑前守樣御立願之條々
 一、不動堂一宇可建立事。
 一、二王堂一宇可建立事。
 右於佛前、撰吉日良辰精誠、頓速有御本復、御延命息御武運長久之可懇祈旨御諚候。被其意、勤行不怠慢之状如件。
    慶長拾六年                      篠原出羽守
       五月廿七日                     一   孝 在判
                               奧村河内守
                                 榮   明 在判
                               横山山城守
                                 長   知 在判
      栗柄明王院
〔倶利伽羅手向神社文書〕
       ○
高岳樣就御不例祈念筑前守樣御立願
 一、當社一宇可建立事。
 右於御神前、撰吉日良辰精誠、頓速有御本復、御延命息御武運長久之可懇祈旨御諚候。被其意、勤行不怠慢之状如件。
    慶長拾六年                      篠原出羽守
       五月廿七日                     一   孝 在判
                               奧村河内守
                                 榮   明 在判
                               横山山城守
                                 長   知 在判
      能州一宮神主
〔氣多神社文書〕
       ○
高岳樣就御不例祈念筑前守樣御立願
 一、當社一宇可建立事。
 右於御神前、撰吉日良辰精誠、頓速有御本復、御延命息御武運長久之可懇祈旨御諚候。被其意、勤行不怠慢之状如件。
    慶長拾六年                      横山山城守
       五月廿七日                     長   知 在判
                              奧村河内守
                                 榮   明 在判
                               篠原出羽守
                                 一   孝 在判
      能州三崎明神
〔須々神社文書〕
       ○
高岳樣就御不例祈念筑前守樣御立願之條々
 一、鳥居
 一、つか殿
 右於御神前吉日良辰精誠、頓速有御本復、御延命息御武運長久之可懇祈旨御諚候。被其意、勤行不怠慢之状如件。
    慶長拾六年                      篠原出羽守
       五月廿七日                     一   孝 在判
                               横山山城守
                                 長   知 在判
                               奧村河内守
                                 榮   明 在判
     埴   生
       神   主
〔埴生八幡社文書〕
       ○

 尚々芳春院事左之通可御心得候。主かたへもおり〱申遣義共に候。以上。
 就私腫物並所勞之儀、先度も重而被下御内書、有難上意併冥加之至に存候。仍腫物は、於今同遍之躰に御座喉へども、所勞之儀追日少宛快氣に御座候間、可御心易候。就中拙者煩之義に付、母芳春院、自然御臺樣御暇との義被御意、此方へ爲見舞罷越度樣に、女之義故存候とも、一切不御許容候樣に、各御心得被成可下候。其段奉頼存候。芳春院方へも堅申道候へども、女之義之事に候間、御理申入義候はゞ(脱文カ)、腫物令平癒、行歩さへ相叶申程に候はゞ、其地へ罷越、御見舞をも申上度覺悟に御座候間、隨分無油斷養生仕候。就夫盛方法印並慶祐法印奉頼、今明日中に可下着由に候間、彌以致養生、煩をも取直御目見に罷越、各へ可貴意心中迄に御座候。自然御次に御取成所仰候。恐惶謹言。
                           羽柴肥前守
    六月四日(慶長十六年)                       利   長 在判
      本 多 佐渡守殿
      大久保相模守殿
〔國初遺文〕
       ○
敬白起請文之事
 一、御藥被下以來、女方などの儀無之候。自今以後、猶以御藥被下内、少茂致不養生間敷事。
 一、食事好物之義、度々御書立之外、毒ヶ間敷物不下候義、是亦自今已後御書立次第下事。
 一、御藥不給(タベ)儀を、被下候樣に僞申間敷事。
 右條々若鶴於申入者、日本國中大小神祇八幡大菩薩愛宕山大權現、殊氏神御罰可受者也。仍誓紙如件。
                           羽柴肥前守
    慶長十六年六月十五日                 利   長 在判
      盛方院法印
〔薫 墨 集〕