第二章 加賀藩治創始期
第五節 三國統一
慶長五年九月二十八日前田利長大阪に入りしに、家康は十月十七日を以て榊原康政を利長の第に赴かしめ、山口宗永の遺領八萬石、丹羽長重の遺領十二萬石、前田利政の遺領一萬五千石を併せ領せしめき。是に至りて利長の有する所、加賀・能登・越中三國百二十餘萬石となる。是の月利長は大阪に於いて家康の盛饗を受く。蓋し利長の弟にして嗣子と定められたる利常は、曩に徳川秀忠の第二女珠姐の佳壻たるべきを約せられたるを以て、家康と利長とは互に姻戚の關係を有するに至りしも、當時國家多事にして未だ膝を交へて欵唔するの餘裕あらず。因りてこの事ありしなるべし。次いで十一月十日利長書を江戸の村井長頼に與へ、徳川氏に使して珠姫來嫁の納釆を上らしめき。
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