石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第四節 大聖寺淺井畷二役

利長金澤に歸りたる頃、豐臣・徳川二氏の關係は益切迫せり。是を以て利長は、夙く八月十三日を以て先鋒を發して松任に次せしめ、又書を利政に與へて能登の兵を出さしめんとせしが、利政は逡巡して從はざりき。されば九月朔日既に家康江戸より出發せしに拘らず、利長が三日附を以て東將黒田長政・藤堂高虎に送れる書に、不日再び征途に上らんとすといへば、この時尚出兵を斷行する能はざりしを見るべく、五日利長が在江戸の村井長頼に宛てたる書にも、利政の異義を挾みて能登の兵を動かすを肯ぜざるが故に、更に出征を遷延せりといへり。然るにこの時家康にありては、大會戰の期漸く近づき、安危の岐るゝ所眞に間髮を容れざるものあり。是を以て八日には又書を送りて西軍の事情を報じ、且つ速かに利長の征途に上るべきを促せり。この際利政の態度は、利長に取りて非常の苦痛たりしを以て、長連龍はその間に奔走して頗る盡力する所ありしが如く、利長は之を嘉して異日利政をしてその子好蓮を祿せしめんことを約し、後之に能登に於いて新知一千石を與へたりき。長氏家譜に、『利政公御異念之品出來之節、連龍公別而忠直之覺悟利長公御感悦、御懇之御諚有之、同九月九日誓書を賜。』といへるもの即ち是なり。

  尚々今日金澤の先手をば松任まで遣申候。以上。
 態令申候。仍越前地之人數、小松まで相越之由申來候。自然働など仕義有之ば、はづれをも可申付覺悟候。爲心得申入候。能州人數をも、はし〲相越候樣に可申付候。爲其申遣候。恐々謹言。
    八月十三日(慶長五年)                     利   長 在判
      孫 四 郎(利政) 殿
          進 之 候
〔遺編類纂〕
       ○

 三枝源三罷歸、其表之樣子承令滿足候。然者濃州一篇申付、大柹城に備前中納言・石田治部、島津・小西以下取籠置候得者、爲後詰敵罷出候所をくい留置候由申來付而、爲討果夜次日罷上候。殊大津宰相(極高次)も罷歸、色を立候。其許早々御手合之義尤存候。爲其申入候。恐々謹言。
    九月八日(慶長五年)                      家   康 在判
      加賀中納言利長)殿
〔薫 墨 集〕
       ○
敬白天罰起請文前書之事
 一、十左衞門(好連)身上之事、其方同前に行候迄疎略有間敷候事。
 一、十左衞門此方へ奉公之事、並以後能州にて知行分之事、孫四郎(利政)手前無異儀樣に理可申事。
 一、其方父子手前之義に付て、若中説於之者遂穿鑿、有樣之筋目可相究候事。
 右之趣、若少も僞儀於之者、忝も正八幡大菩薩・春日大明神・山王七權現(社脱カ)・北野天滿天神・熱田大明神・多賀大明神・熊野三所權現・富士大權現・白山妙理權現、總而日本國大小神祇、殊者愛宕大權現之御罰可罷蒙者也。仍起請文如件。
                           羽 柴 備 前
    慶長五年九月九日                  利   長 血判
      長 九郎左衞門殿
〔長家文書〕
       ○

 能州の内を以、千石の所令扶持了。全可知行之状如件。
    慶長十年十月朔日                  利   長 在判
      長 十左衞門殿
〔長家文書〕

長好連畫像 鹿島郡悦叟寺藏