石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第四節 大聖寺淺井畷二役

加州能美郡淺井繩手合戰覺書
 一、寛文元年九月十九日之朝、殿樣(前田綱紀)南淺井え御越被成、此節大領村彦左衞門与申者、淺井繩手合戰之首尾、若年之時分見屆申候由に而、其趣を南淺井村九郎兵衞・北淺井村久兵衞兩人罷出申上候口上之趣、且亦年寄申候者共之物語承傳申候品々、過日書くわへ申候覺書左之通。
 一、肥前守利長大聖寺より御歸陣之節、小松之城より、丹羽五郎左衞門(長重)樣人數御出し、於淺井御合戰御座候。慶長五年庚子八月九日辰之刻にて御座候。
 一、龍が馬場より、丹羽五郎左衞門樣御出被成、一屋村より大領村へ御うつり被成と承及候。龍が馬場は往還筋、今江村ぬまだの際を申候。一屋村と申者大領中村を申候。
 一、利長樣しんがりは、長九郎左衞門尉連龍樣にて御座候。八月八日(七日)申之刻、今江村御幸塚へ御着被成候。九日(八日)辰之刻、今江村領之内早松之東にて、丹羽五郎左衞門樣御家老江口石見殿と御合戰御座候。兩方之御人數、手負討死あまた御座候。南淺井村南の畠下より二拾間ほど南の方に而、九郎左衞門樣御家來討死の人々。
   長  中  務殿  小林平左衞門殿   堀 内 一 秀殿  隱岐覺右衞門殿
   鹿島路六左衞門殿  鈴木 權兵衞殿   八 田 三 助殿  岩 田 新 助殿
   柳  彌 平 次殿
 右之人々、此所にふみ留り散々に相戰、二度まで小松勢を追くづし、手々に首を御取被成、其後御討死被成候。此時小松方には、雜賀兵部殿・寺岡勘左衞門殿・松村孫三郎殿其外數多討死御座候。小松方澤次郎左衞門殿・深町九郎兵衞殿、其外手負數多御座候。
 一、山代橋近邊にて長九郎左衞門尉樣・同安藝守樣、此所に而可返合所なり、かへせ〱と御馬を乘まわし〱御下知被成、橋より三拾間ばかり東に御備を被立、小松勢を御待被成、太田但馬守樣茂此所に御人數御立被成候。
 一、山代橋より二拾間計西之方に而、兩方之御人數出合、亦御合戰御座候。小松方拜郷治太夫殿・不破杢兵衞殿其外數十人討死被成候。金澤方討死被成候人々茂數多御座候。松平久兵衞樣此所に而鑓御合せ、御手柄御座候。九郎左衞門樣御人數にて、小松勢を橋より一町ばかり追かへし被成候得者、後陣より崩さわぎ立候而、小松方敗軍にて引退申候に付、九郎左衞門樣御父子樣共本郷へ御引取被成候。太田但馬守樣茂此所に而小松勢を追散し、御手柄御座候。惣而金澤勢討死三拾餘人之由に御座候。小松方討死七拾餘人に而御座候。最初は小松方きおひ申樣に見え申候得共、後は小松方追返され、備崩れ敗軍に成、討死之人々數多御座候。
 一、山代橋、長二間三尺計、幅四尺計之板二枚にて、昔はかゝり居申由に御座候。
 一、慶長五年より寛文元年迄六拾二年也。
 一、寛文元年より寳永七年迄四拾九年也。
〔大領村藤右衞門家傳書〕

齋藤雅樂助宛長連龍書翰 男爵長基連氏藏