石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第四節 大聖寺淺井畷二役

利長がこの異常なる班軍を決行したる理由の、果して那邊にありしかは、古來不可解の問題とせられ、前人爲に説を立つる者甚だ多し。而してその最も普通に行はるゝものは、この時利長の臣中川光重[宗 半]がより歸國せんとせしに、西軍に黨したる大谷吉繼は光重敦賀に捕へ、上國の軍將に海路金澤を侵さんとすとの手書を認めしめて利長に送りしに、利長はその筆跡光重のものに疑なきを以て、これを事實なりと信じ、直に馬を封境に納るゝに至りしなりといふに在りて、光重の手書として傳へらるゝものは即ち左の如し。

 上方へ御出馬の由承り、私儀も御供可仕と大阪より罷下り候處に、西國勢石田治部少輔が人數を引率し、敦賀の浦より船へ乘、加州宮腰へ打上り、金澤之城を乘捕候はんと人數を催し候間、御引取御用心可成候。爲飛脚を以奉注進候。恐惶謹言。
    八月十三日                     中 川 武 藏(光重
      横 山 城 州(畏知)
        御 披 露
〔三壺聞書〕