初め
前田氏の軍大擧して
大聖寺に至らんとするや、宗永は急を
越前北庄の青木秀以[初名 一矩]に報じて來援を請ひしも、秀以は期に後れて之に應ずること能はず。
小松の
丹羽長重も亦後卷して敷地に來りしが、
大聖寺城の既に
陷落したるを聞きて
退却し、四日更に兵を
前田氏の領内に進め、火を本吉の倉廩に放ちて劫掠せり。而して
利長に在りては五日
大聖寺を發し、
越前の細呂木に出で、先づ使を北庄に遣はして秀以の降服を促し、次いで自ら金津に入り、
先鋒を五本・長崎に進めしが、
使者歸り來りて秀以の異心を抱かざるを報じ、丸岡の城主青木伊賀守忠元も亦同じく成を請ひしを以て、同日急に金津を發して軍を
大聖寺に收めたりき。