石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第四節 大聖寺淺井畷二役

當時家康は屢上杉景勝の西上を促したりしが、景勝は石田三成等と共に兵を擧げ、家康を前後挾撃せんとの約已に成れるを以て、毫も之に從はんとはせざりき。家康乃ち兵を會津に進めて景勝を膺懲せんと欲し、六月朔日先づ軍令を定めて、利長を津川口の先鋒たらしめ、越後の國主堀秀治・本庄城主村上義明・新發田城主溝口秀勝をして之に屬せしめき。七月二日家康江戸に至り、次いで山形の城主最上義光を利長の麾下に屬せしむ。之に對して大阪に在りては、この月十七日前田玄以・増田長盛・長束正家等、家康が專横の罪を鳴らし、諸侯に檄して彼を討たんことを勸め、同日毛利輝元宇喜多秀家も亦書を利長等に與へて、秀頼擁護の爲に家康征討の軍に加らんことを請へり。

 態申入候。去年已來内府被御置目、上卷誓紙被之悉之働、從年寄申入候。殊更奉行年寄一人宛被相果候而は、秀頼樣爭可取立候哉。其段連々存詰、今度各申談及鉾楯候。御手前も定而可御同前候。此節秀頼樣へ可御馳走段不申候歟。御返事待入候。恐々謹言。
                           安藝中納言
    七月十七日(慶長五年)                      輝   元 在判
                           備前中納言
                             秀   家 在判
      羽柴備前(前田利長)守殿
          御 宿 所
〔武家事紀〕