石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第三節 前田利家の晩年

慶長三年戊戌利家の齡還暦に當る。因りて利家は四月二十日を以て老を告げ、子利長をして家を襲がしむ。この月利家上野草津温泉に赴き浴し、六月金澤に歸り、同月又伏見に往きしに、會秀吉病ありしが、既にして自ら起つ能はざるを知り、八月五日諸侯伯を會して、薨後皆秀頼を奉じて主となし、敢へてその命に違ふなきを誓はしめしが、固より是を以てその意を安んずるに足らざりしが故に、同月八日更にその最も信頼せる利家を召して遺孤を託せり。蓋し利家が秀頼の傅となりしは、夙く文祿四年秀次に死を賜ひたる直後に在りしといへども、こゝに至りて復新たに委任する所ありしものにして、利家夜話に秀吉遺言の状を述べて、『大納言樣の御手を太閤樣御いたゞき、秀頼事頼申ぞ。大納言、大納言と御意候由。』といへるは、その實際を傳へたるものなるべし。さればこそ、是の日利家は再び誓書を上りて、その子利長と共に長く秀頼を奉戴すべきを約せるなり。
敬白天罰靈社上卷起請文前書之事
 一、奉秀頼樣御奉公之儀、太閤樣御同前仕、不疎略事。附表裏別心毛頭存間舖事。
 一、御法度御置目之儀、今迄如仰付彌不相背候、各相談之儀、多分相付之事。
 一、公儀御爲を存上者、對諸傍輩私之遺恨企、不存分事。
 一、傍輩中不其徒黨。公事篇喧嘩口論之儀自然雖之、親子兄弟縁者親類知音奏者共、依怙贔負不存、如法度覺悟事。
 一、御暇之儀不申上、爲下國仕申間敷事。
 一、御知行方之儀、秀頼樣御成人之上、爲御分別仰付以前、諸家御奉公之淺深ニヨリテ純訴訟之子細も有之バ、公義御爲に候條、内府並長衆五人致相談、多分付而隨其可其賞罰候。但手前之儀者少も申分無御座事。
 一、對御奉公衆、誰々讒言子細雖之、同心仕間敷候。但仁ニヨツテ直談可申理候。自然不相屆儀承屆候ハヽ、無隔心異見候。事同心之候共、遺恨ニハ存間敷事。
 一、公私共隱密申聞儀、一切不他言事。
 一、此方一類並家來之者共、自然御法度相背族於之者、無隔心申聞者可祝著事。
 右之條々若私曲於之者、忝も此靈社起請文之御罰深厚可罷蒙者也。仍前書如件。
    慶長三年八月八日                  利   長 在判
      徳  善  院
      淺野彈正少弼殿
      増田右衞門尉殿
      石田治郎少輔殿
      長束大藏大輔殿
〔薫 墨 集〕
       ○
敬白天罰靈社起請文前書之事
 一、今日御直に被仰出趣、少茂不存忘、秀頼樣え御奉公可仕事。
 一、肥前守利長)ニモ御諚之通具申聞候。是又秀頼樣え不疎略御奉公可仕事。
 一、以御隱密仰出儀、不他言事。
 右之條々、若私曲僞於申上著、忝此靈社起請文之御罰、深厚可蒙者也。仍前書如件。
                           加賀大納言
    慶長三年八月八日                  利   長 在判
      徳  善  院
      淺野彈正少弼殿
      増田右衞門尉殿
      石田治郎少輔殿
      長束大藏大輔殿
〔武家事紀〕