石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第三節 前田利家の晩年

秀吉利家を信頼親眤したりしは、固より利家の天稟着實温厚にして、他の諸將の如く表裏を有し、調略を用ふることなかりしと同時に、その勇猛果敢、儕輩に倫を絶せしによるといへども、又一面に於いては文雅風流の人たりしによる。利家初め學を信長の右筆たりし武井肥後に學び、書を能くし、傍ら算數に通ぜり。茶儀・和歌も亦之を解し、就中今春流の猿樂を學びて、その練習三日に一回の繁きに及びたりといひ、東北・芭蕉・通盛・江口・山姥・千手・松風の如きはその尤も好みて演じたる曲目なりき。秀吉も亦その趣味を同じくせしを以て、二人の互に舞ひ、互に觀賞せしこと尠からず。而して利家に在りては、啻に之を娯樂として弄びしのみならず、その中自ら一種の教訓をさへ發見し得たりしは、頗るその技の神髓に徹したるに因らずんばあらざるなり。

 人は大將も其外も、上下に不依、能をする如く、さし・くせ・まひ・きりとて有物なり。ごくいと云時はきりにて候故、萬事物を指詰置、肝煎事は萬事ひつゝめ走廻候。是きり也。また餘り入ざる時は、ゆうにいかにも心しづかにするものなり。是くせまひなりと御意候事。
〔利家夜話〕
利家は又自ら小唄をうたひ得る程に器用なりき。曾て大阪に在りて、金森法印・猪子内匠、戸田武藏等を會して酒宴を催したりし時、彼は興に乘じて『大佛もやけた、くるへ唯、あそべ唯、浮世は不定の身ぢやまで。』と唄ひ、以て一座の喝釆を博したりき。こは松永久秀の南都大佛殿を燒きし時、世上に流行せしものにして、尾張にも亦童幼の間に行はれたるを記憶せしなりといへり。