石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第三節 前田利家の晩年

是月利家命を受けて、蒲生氏郷と共に第二軍の將となり、秀吉の親征も亦將に實行せられんとする形勢に在りしが、時局急轉し、明軍は屢利を失ひたるを以て、將に使節を遣はして和を媾ぜんとすとの報を得たりしかば、利家は更めて媾和使接待の任に當るべきを命ぜられたり。秀吉又大に觀兵式を行ひ、我が軍の武備充實せるを示して、媾和使を威服せしめんとするの意あり。利家乃ち刀槍を裝飾せんが爲、能登及び加賀の留守に命じて金銀箔を調製せしめき。

  尚々、うちため候はくの事、有次第此方へ可上候。はく屋に人を付置可申付候。さし。
 態申遣候。仍大明國勅使來三月罷越付而、我等所御やどの事被仰付候。就其日木國武者揃をも被成、御みせ可有との事候。金子三枚か五枚分、はくをうたせ可申候。五月中にこと〲く出來候樣に可申付候。加州にてもはくの事申付候。唯今まで打ため候はく、何ほど候哉是又可申上候。尚長兵へ(衞)かたより可申候也。
    二月七日(文祿二年)                      ちくぜん 印(利家
      三輪藤兵へ殿
〔續汲古北徴録〕
       ○

  尚々、最前こしらへ候ながへ百本に、はくをおかせ可申候。金はくの事藤兵へ(衞)かたへ申遣候而、請取おかせ可申候。やり共出來候はゞ、さいくの者共何ものぼせ可申候。百えだの長刀さやなどをも、びやくだんしたぢにこしらへ可申候。み(身)などをもとがせ可申候。
 態申造候。仍來三月大明國勅使羅越勅使宿をも可仰付由候。武者揃を被成、御みせ可之との事候。就夫金はくの事は能州へ申遺候。其元にはく屋有次第に、はく五枚分か十枚分うたせ可申候。五月中に出來候樣に、かたく可申付候、爲其態申遣候也。
   二月七日(文祿二年)                      ちくぜん 印(利家
      出羽守(篠原一孝)殿
      種善坊(山崎宗俊)
〔續汲古北徴録〕

徐一貫筆蹟 鹿島郡永光寺