石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第三節 前田利家の晩年

既にして七月四日小田原城陷り、五日北條氏直降りしに、秀吉は六日城を收め、十一日北條氏政及び北條氏照に死を賜ひ、二十一日氏直を紀伊の高野山に放てり。是に於いて秀吉は關東既に平ぐを以て奧羽を徇へんと欲し、利家陸奧檢田總督として隨行せしむ。利家乃ち利長と共に二十四日を以て江戸を發す。九月朔日秀吉京師凱旋す。十月利家陸奧に在りて、檢田奉行淺野長政・石田三成等を督し、土寇を平げ田制を定めて百姓を綏撫し、十一月金澤に還る。

 態申遣候。仍此表儀上樣へ御注進を申上候。此ものくたびれ可申候間、以飛脚早々尾山へ可相屆候。然ば仙北庄内由利之一揆おこり候へ共、我々手前隙之明、赤う津まで越候に付て、爰元一揆共山へ入申候。庄内之義も早速可申付候間、可心安候。恐々謹言。
    十月十八日(天正十八年)                     利   家 印
      木村作右衞門殿
      村井太兵衞殿
〔温故足徴〕
       ○

  見崎山より先への儀は可聞合候。
 利家明日至仁賀保陣替旨候。然者其方長九并我々先手輩相談、見崎山前にあて、本陣迄之間在々に打續可陣取候。長九へ者從其方相達、庄内之儀は縱野陣にて成共、散々に無之樣に人數共被引集陣取事專用候。尚明日以面可申候。恐々謹言。
                           孫    四
    十月廿三日                     利   長 在判
      不 破 彦 三 殿
            御陣所
〔寸錦雜編〕