石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第二節 越中平定

秀吉前田氏越中三郡を増封せるは、利家に對してなりや、將た利長に對してなりやに就きては、聊明瞭を缺けり。何となれば秀吉の書に、『殘三郡は貴殿へまいらせ候。』とあるは、固より利家を指すものなりといへども、同じ書中に『然者越中三郡、孫四郎宛所に折紙調候。』といふものは、利長を指すものたるが故に、古人も甚だその判斷に苦しめり。是を以て越登賀三州志に、『秀吉其前役之功、賜越中於其子利長。』と利長由緒に記し、『今年九月十一日瑞龍公(利長越中三郡拜領あつて森山城へ移らせ給ひ、此時松任の四萬石は上させらる。』と有澤武貞考に記したるを左證として、之を利長の領とせるなりと論斷せり。且つ世に或はこの書状の日附に十一日とあるを怪しみて、その日は秀吉が尚加賀に在りし時なるが故に、恐らくは二十一日の誤ならざるかとするものあり。この説は、天正十三年の閏年なりしことを忘却せるものにして、八月越中平定の翌月は閏八月とし、九月ならざりしことを記憶せざるべからず。