石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第二節 越中平定

初め秀吉北征するや、藤懸三藏等亦赴きて力を致さんと請へり。秀吉乃ち閏八月朔日を以て書を三藏等に與へ、越中の事既に平定せるを以て、彼等が來援の要なきを示せり。その書中、成政征討の軍状を述べて甚だ詳密なり。

 廿五日至于龜山歸陣仕之由に候。此中各苦勞共に候。仍當表事、越中倶利伽羅峠に馬を立、先勢東は立山うばだう・つるぎの山の麓迄令放火候處に、木船・守山・増山以下所々敗北候に付て、内藏助令降參、信雄を相頼、外(富)山之居城を相渡、當陣所へ走入候條、命之義令赦免候。即今日外山城へ可相移思召芹谷野まで被越候。於外山越後長尾可出仕之由に候條、於彼地請可之候。右之分候間、太刀も刀も不入躰候間可心安候。今五三日令在陣、國中諸城之物主相付、置目等申付、頓而可納馬候。然ば此方へ可相越之由申候へ共、早人數も不入候間無用候。慥可其意候也。
    閏八月朔日(天正十三年)                     朱   印(秀吉
      藤 懸三藏どの
      田中小十郎どの
      石川小七郎どの
      高田小五郎どの
      伊藤牛之助どの
      谷 兵 助どの
〔北徴遺文〕