石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第二節 越中平定

十九日利家は前軍に將として發し、二十日倶利伽羅に陣し、二十二日安養坊坂に至り、以て富山城に肉迫す。是に於いて秀吉呉服山上に布營し、中越廣漠の平野を一眸の中に收めしに、成政は堅く城中に隱れ、而して秀吉も亦未だ兵を放たず、その刄に衂ぬることなくして功果の大ならんことを欲したりき。成政諸將を集めて戰を議す。佐々平左衞門等曰く、今秀吉巨萬の兵を以て我に臨む。假令抗するも蟷螂の斧を上げて龍車に向かふが如けんのみ。如かず降を容れて天壽を全くし給はんにはと。成政之を然りとし、密かに使を織田信雄の營に遣はして曰く、若し秀吉にして、我に許すに越中の一部を以てせば、永くこれに臣事するを辭せざるべしと。成政は先に信雄の爲に織田氏の勢力恢復を策したるものなり。是を以て信雄今は之を棄つるに忍びず、土方勘兵衞雄久等を秀吉の本營に致して、成政の爲に請ふ所あらしめき。秀吉成政の表裏常に計られざるを以て、固く執りて動かず。而して雄久等の之を請ふこと益切なるに及び、乃ち遂に一歩を讓り、その之を許すと許さゞると、一に利家の意に隨ひて決せんと言へり。時に利家座に在り、秀吉に謂ひて曰く、成政の武勇術策、共に固より我が怖るゝ所にあらず。唯今日の事は公の命のまゝならんのみと。秀吉利家の雅量を賞して成政の罪を赦し、新川一郡を以てその領邑に充つ。二十九日成政の罪を秀吉に謝せんとするや、從者僅かに十數人を伴ひて利家の營前を過ぎる。利家即ち士卒に命じて笑聲を發せしめしに、成政差耻の色を露して去れり。利家成政と相乖離するごと多年、而して哄笑一番を以て積憤に代ふ。利家天稟の率直簡朴、概ねこの類なり。