石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第二節 越中平定

然るに七月十一日、秀吉は關白に任ぜられて人臣の榮職を極め、之と同時に元親の投降せんとする吉報にさへ接したりしかば、その善後の處置を完結するの隙なく、同月十七日夙くも大擧北征せんとするの意を利家に告げ、直に出師の準備に著手し、八月四・五日を以て先鋒隊を出發せしめ、八日目ら征途に上れり。是を以て利家は五日領内の諸浦に令し、本月十二日以降獲る所の魚介は、悉く之を金澤に輸送せしめ、以て秀吉一行を饗するの準備を整へ、七日には書を能登國境の守將青木善四郎等に送り、關白の動座當に日睫の間に在るを以て輕擧と怠慢とを警むべしとなし、十二日には又書を新附の將菊池武勝等に與へ、先に武勝の利家に内通したる功を賞し、且つ秀吉の軍既に加賀に入りて山野に充滿せることを告げ、以て彼をして離心を抱くの餘地なからしむるに努めたりき。是等消息の文意、皆利家が多年の希望を達せらるべき喜悦の情の躍動するを見る。次いで十七日、利家能登の配下諸將に牒し、在七尾前田安勝を除く外悉く津幡に集合して軍令を待たしめき。

  尚以藏助越前之むすめ被送返候。然者彌無事などゝ云事曾以無之候。以上。
 書
状令披見候。仍藏介(内藏助)鳥越表迄越候へ共、別なる子細も無之引かへし候。ます山の普請など仕候共、かゝへ候事は難成候。近日御出馬(秀吉)に候間、いづかたも一なでに可仕候。其元機遣(氣)も今少之間に候。由斷有間敷候。堺目之判形取候所々へも中遣、細々注進尤候。たしかの事不申越候はゞ、不入事候聞可放火候由かたく可申付候。謹言。
                           又    左
    七月五日(天正十三年)                      利   家 在判
      青木善四郎殿
      大屋助兵衞殿
〔前田利家眞翰〕
       ○

 急度申候。仍來四日至越中出馬候。人數先々之備目録、今朝蜂出(蜂屋出羽頼隆)に相渡候。定而可參着候。分別候て、先々儀無越度樣に尤候。委細者蜂屋口上申含候條、相談肝要候也。
    七月十七日(天正十三年)                     秀   吉 在判
      前田又左衞門殿
〔拾遺温故雜帖〕
       ○

 くわんばく樣御動座にて、浦々へさかな之事申付候。當浦之儀無由斷申付、船より上候者、則肝煎に而も、急度夜中來十二日より毎日尾山へ可相屆候。請取を以令算合候。無沙汰之在所、急度可成敗者也。
   八月五日(天正十三年)                      利   家 印
      大のみ(鹿島郡大呑村)百姓
〔鹿島郡佐々波桑原氏文書〕
       ○

 如書状、今度於鳥越一戰、孫四郎手前にて切崩、藏介(内藏助)馬廻隨分之者數多討捕、さし物以下迄追落候仕合、可御心易候。御動座彌必定にて候。御先勢はや〱越前迄出申候。其元機(氣)遣も五三日中たるべく候。由斷有まじく候。堺目にも人を附置、聞屆可申越候。謹言。
    八月七日(天正十三年)                      利   家 印
      青木善四郎殿
      大屋助兵衞殿
〔温故足徴〕
       ○

 態々令申候。仍今度手柄なる首尾被勝手候事、外聞實儀施面目候。定無比類働共候。殊上之御人數賀州一國に充滿候。野山不分躰候。軈而此表より押入、不時日討果事不程候。今日則關白樣へも御注進申上候處、不大形御滿足候。今朝は其方へも爲禮可申處、きおひに取紛れ延引候。何事も期面之時候。恐々謹言。
                           前  又  左
    八月十二日(天正十三年)                     利   家 在判
     菊池右衞門入道殿
      屋代十郎左衞門殿
         御宿所
〔拾遺温故雜帖〕