石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第二節 越中平定

天正十三年二月、北國の雪僅かに融解せんとす。此の時に當りて利家老臣村井長頼は、再び越中を侵略せんことを請へり。利家乃ち衆を集めて戰を議せしに、長頼の臣小林大納言及び屋後太右衞門は、もと越中の産にしてその地理に精しかりしを以て、礪波郡蓮沼を燒夷するの計を上れり。大納言は舊の彌六左衞門にして、當時法師武者たりしなり。利家亦彼等の献策を妙なりとし、二十四日長頼を先鋒として敵地に侵入せしめ、利家利長父子は國境に止りて聲援に備ふ。長頼乃ち部兵千餘を率ゐ、戌刻を以て蓮沼方面に潛行し、翌拂曉を以て火を民家に放ちたる後、敵と戰ひて三百餘人を斫り、將に兵を戢めんとせり。時に成政の配下、松根の城代杉山主計、城端の將河地才右衞門等、蓮沼前田軍に襲はれたるを聞き、直に來援して長頼の軍に追跡せしかば、長頼は踵を旋して自ら鎗を合はせ、家臣吉川平太・江見藤十郎・阿波賀藤八郎・小林大納言・屋後太右衞門・大窪小五郎等も亦奮鬪しつゝ退却せり。時に利家は本營に在りて戰報を待ちしが、衆の捷ちて歸るを見て大に喜び、後二十八日に至り、長頼を召して祿二千石を加へ、脇刺と陣羽織とを與へ、翌日利長も亦感状を授け、次いで秀吉は報を得て、同じく賞詞を長頼に贈る。而して吉川平太・江見藤十郎・屋後太右衞門・小林大納言も、亦各利家より黄金二十兩・小袖二を得たり。

 今度蓮之間(蓮沼)表其方望申に付而、敵地へ押入候儀無心元存侯得共、此度を我等運命次第と存知、無是非申付候處、無異儀彼地を令放火、敵勢に而慕付根へ共、其方自身鎗を突、不今手柄之段不勝計候、雖少分加増、加州石川河北・能州の内を以四千俵令扶助訖。全可知行所如件。
    天正十三
        二月二十八日                利   家 在判
      村井又兵衞殿
〔村井家文書〕
       ○

 今度蓮之間表燒はらひ可申旨、貴所望付而利家仰候は、其方は別而秘藏之者之義と云、殊きぶね之城ぎはと云、其上夜中之儀に候へば、引取儀を無心元思召候へ共、目賀田又右衞門・丹羽源十郎鳥越を聞おぢに明退候を無念に被思召此度越中へ中入して放火仕儀尤と被仰付候處、彼地を不殘燒はらひ、敵あまたしたい付根處、其方自身鎗を突、味方あしをもみださず、遠路之所しづ〱と被引取候段、誠手柄共今に不初儀不勝計候。利家御滿足大方ならず候。次に其方寄騎吉川平太・江見藤十郎などそばにて手柄仕候由、其方口次第に御はうみ可有由利家御意候。尚面を以て可申候。謹言。
                           孫  四  郎
    二月二十九日(天正十三年)                    利   勝(利長前名) 在判
      村井又兵衞殿
〔村井家文書〕
       ○

 今度蓮之間、其方望に付て、利家許容處に、早速彼表を燒働、其上敵大勢にて慕ひ候へ共、自身無比類鎗をつぎ、誠に感事に候。猶期面之時候。恐々謹言。
    三月二日(天正十三年)                      秀   吉 在判
      村井又兵衞え
〔金澤藩源流記〕

村井長頼畫像 侯爵前田利爲氏藏